読み物 Blog

2022/12/22 11:03

私の田舎は、どの家にも柿の木はあって

次郎柿(そのまま食べる甘いやつ)や焼き柿(これが今の市田柿)
自宅と親戚用にみんな干し柿を作っていました。

その頃から、母は干し柿をきれいに美味しく作ろうと試行錯誤していました。
だんだんふっくらぷっくりしたのができるようになってきて
親戚や知人から美味しいと言ってもらえるようになり
さらに燃えていました。

30年以上前、空いてた畑に父が柿の木をたくさん植えました!
(たくさんといっても家族でできるレベルですが)
そこから家族で市田柿を作って農協に出すようになりました。
量が増えて今までと違ってゆっくり丁寧にできず
最初の頃はうまくいかなかったりもしました。

農協は干し柿にランクをつけます。
母はいい評価をもらうために毎年頑張りました。
自分が納得できる干し柿の作り方がわかってきた頃
お店で高いからか売れ残っているのを見て
自分の柿もそうなっていたらどうしよう、、まずくなっちゃうと
親戚みたいに、直接届けられたらいいなぁと言い始めました。

その頃の私は、自分の仕事の方が大事だったし
年に一度帰れば良い方で、そのうちやろうと適当に話していました。

母の夢だった直販を始めたのは3年前。
実はコロナで私が暇になったから(^_^;)
お客様に直接届けられるようになって、母は本当に本当に嬉しそうです。
自分の夢とか希望とかはおいといて、それより家族だし子供だし
今の女性とは全くちがう時代を生きてきました。
母は来年88歳です。

なんでもっと早くしてあげられなかったのかなとも思います。
でもきっと、こうなるようになってたんだなと思います。
逆らわず、無理せず、後ろをみず

今、私は、母からいろいろ教えてもらっています。
猛スピードで!